出張レストランサービスのマイシェフ社長ブログ

個人向け出張レストラン・出張料理 "マイシェフクイック" の社長のブログです

ノーベル賞受賞者に学ぶ イノベーションの作り方

生理学や医学、化学や物理など、人の生活や科学の前進に大きく貢献する発明・発見が対象となるノーベル賞
ノーベル賞は、世界的に多大な影響を与えるイノベーションの歴史そのものとも言えます。

ノーベル賞受賞者の考え方や物事の捉え方、価値観や哲学は、イノベーションや新事業創出を目指す人にとって、学びが大きいはずです。

 

イノベーションとは

イノベーション とは「新たなことを創造し、変革で経済や社会に価値を生み出し、革新をもたらすこと」。
物事の「新結合」「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」。

 

江崎玲於奈氏(ノーベル物理学賞 1973年)

https://www.criprof.com/magazine/wp-content/uploads/2017/12/011_biographies01_768x480.jpg

半導体トランジスタ誕生から学んだのは、どれだけ真空管を研究・改良しても、質的に異なるトランジスタは生まれないということ。そのため真空管研究を止め、半導体物理学の研究に取り組み始めた。50年代初頭の話で、文字どおり未踏の分野。新分野を開拓すれば、二流の研究者でも一流の成果を挙げるチャンスがあると考えた。

ソニーに転職し、目標にしていたトンネル電流の観測に成功した。その先に "偶然" エサキダイオードを発見した。
半導体の実験中、助手が測定した異常電流に疑問を持った。助手は、実験手順を間違えたため、教科書にない異常電流を測定したと思った。しかし江崎氏は、教科書が間違ってるかもしれないと思い、実験を続けた。

・エサキダイオードの研究成果は、すぐ日本物理学会で発表したものの、当初はほとんどの人に意義を理解してもらえなかった。非常に高く評価してくれたのは、ベル研究所で、中でもノーベル物理学賞受賞者ウィリアム・ショックレー博士が絶賛してくれた。

・研究者としての江崎氏は、常にゴーイング・マイウェイ。リスクが高くても〝未知〞を求める路線が性に合っている。
・1970年に発表した半導体超格子理論は、84年頃から世界の研究者論文に引用される回数が急増した。

・成果を挙げることができたのは、独創的なシナリオを作成し、それを企業において実施したから。

・多くの人は、科学進歩が与える物質的な所産・成果ばかりに目を向けがちだが、大事なのは、それを生み出した精神的な所産。研究者の未知を探究する鋭い洞察力と、豊かな創造力を備えたウィズダム=叡知が大事である。

ノーベル賞を取るための5か条(必要条件)
 1:今までの行きがかりにとらわれてはいけない。
 2:大先生を尊敬するのはいいが、のめりこんではいけない。
 3:無用なものは捨て、自分に役立つ情報だけを取捨する。
 4:自分を大事にし、他人のいいなりにならず、時に闘うことを避けてはならない。
 5:いつまでも初々しい感性と知的好奇心を失ってはならない。

科学進歩の根源である叡知に注目しよう|Technologist’s magazine
江崎玲於奈 ITの幕開けを告げる技術発明でノーベル賞|SciencePortal China

  

野依良治氏(ノーベル化学賞 2001年)

https://img.recordchina.co.jp/thumbs/m400/201905/20190531-051636364.jpg

・科学者として成功に必要なのは、ものすごく単純で、自分でいい問題を見つけて、それに正しく答えること。その生き方を貫く。

・しばしば科学者として成功した人は変人奇人で、非社交的。良い子ではない。独創的とは「独り創造的」なので、彼らの考えや成果はなかなか認められない。寂しく、孤独。それに耐えねばならない。
・そして重要なのは「異に合う」。異なる物事や人々、異なる文化に出合う経験はものすごく大事。自分で問題を見つけるために、同じところで、じっと考えていても見つからない。

・同じところに留まる研究者は成長し難い。いろんなところに行き、新たな体験をし、それを糧として発想がひらめくわけでである。ノーベル賞受賞者は、受賞時に平均して国内外の4.6機関を経験している。

・創造性に必要なのは、強い地頭、感性と好奇心、新しいことへの挑戦と反権力・反権威(年配者や先生への忖度無用)。
・今の大きな問題は、社会全体を覆う効率主義・成果主義や形だけの評価制度のせいで、好奇心を持って自ら問う力、全体像を掴み考える力、答える力が落ちている。
・最も心配なのは「問う力」がほとんどないこと。発展につながる良い問を作るのは、与えられた問題に良い答えを出すより、ずっと難しい。誰かに作ってもらった問題に答える習慣が染み付いてしまっている。

野依博士「本気で怒っている」日本の教育に危機感|THE PAGE
ノーベル賞受賞者が見る教育の未来 野依博士に聞く|教育新聞
日中は科学研究で積極的な連携を―野依良治|レコードチャイナ

 

田中耕一氏(ノーベル化学賞 2002年)

https://project.nikkeibp.co.jp/atclmono/vision/060500031/pic4_DSC_0344.jpg

イノベーションに天才は不要、異分野融合の場こそが重要

・独創的な成果を目指すならば、異分野融合ができる仕組みや場が極めて重要。
イノベーションという言葉の定義は「新結合」「新しいとらえ方・活用法」を意味する。その実現手段として、異分野融合は極めて有用。

 

・1982年、レーザーによる表面質量分析技術の開発に取り組んだが、他者装置と同程度の性能しか実現できず、装置の開発としては失敗した。
・その失敗した技術を、別の分野で活用しようと、レーザーによるタンパク質など高分子質量分析に取り組んだ。
・それは、化学を少しでも知る人なら、非常識な開発目標で、無謀な挑戦だった。無謀な開発に挑めたのは、それがどれほど難しいことなのか、いま一つピンときていなかったから。つまり、化学の素人だから挑戦できたと言えるかもしれない。
(同僚の化学の専門家は、レーザーでタンパク質のイオン化なんて、できるわけないと断言していた。)

・ある時、グリセリンと金属超微粉末を誤って混ぜてしまった。間違いだから廃棄してよかったのだが、混ざった試料を何気なく分析器に入れると、世界で初めてタンパク質がイオン化できていた。
・科学者は、仕組みの理屈が先にあり、思い通りの現象を起こさないと学術的な面白みがないと考えるかもしれない。しかし私は技術者だから、トライアンドエラーでまず試して、うまくいったら後から理屈を考えればよいと考える。こういう発想だから、従来の常識、呪縛を超えられることもあると思う。

https://news.mynavi.jp/article/20180221-583937/images/008.jpg

ノーベル賞受賞後、新たな目標を立て、年間1億円の予算と研究環境を得たが、思うように研究が進まず、苦悶する日々が7年続いた。2009年に国のプログラムに採択され、5年で35億円の研究資金を得て、アルツハイマー研究を加速できた。

・血液検査でアミロイドβ検出することを目的に研究を続け、2年後に成功する。しかし、アミロイドβ検出では病気診断できないというのが医学会の常識だった。
・ただ、アミロイドβとわずかに構造が異なる「未知のタンパク質」データ検出に成功していた。それは学会では、理論上、存在が否定されたいたものであり、医学界の常識を覆すこととなった。
認知症研究の第一人者は「当初、何が新しいのかわからなかった」らしい。)

・大学教授や研究者は、専門分野を深掘りして探究することに注力する。対して、企業に勤める者は、雑誌やテレビなど雑多な媒体から興味を持った知識をかき集め、専門分野に囚われず様々な知恵を引っ張り出す。目的に対して手段は選ばないのは、確実に利点である。

・常識を打ち破る科学的発見は、偶然から導かれることが少なくない。だが、その偶然を生み出すには、失敗を恐れずにチャレンジし続ける、不断の努力で裏打ちされているものである。「偶然は、強い意志がもたらす必然である」

イノベーションに天才は不要、異分野融合の場こそ重要|ものづくり未来図
仮説の幅を広げたい - 研究への熱き想い|マイナビニュース
田中耕一が初めて明かした16年間の“苦闘” | 文春オンライン

 

鈴木章氏(ノーベル化学賞 2010年) 

・研究において重要なことは、取り組む分野が「いかに好きなのか」ということ。好きであれば、色々とを考えて工夫して、独創的な研究、独創的な発想が沸いてくると思う。しかも、好きでないと、続けていこうという気にならない。
・独創的な取り組みを続けて、他人の物まねをしないことが、最も重要。

・学生の時代に、海外で学ぶ経験を得ることができれば、それは素晴らしいこと。外国の先生や友人のものの考え方は、話すことで初めて理解できる。

・どの分野であっても、将来の望みや希望は自分たちで作っていくものだ、ということを強調しておきたい。例えば、理科や技術者と聞くと「将来の望みも希望もない」と言う人がいるようだが、それは違う。他人が言っていることを、そのまま受け入れるような感覚では困る。 

液晶・医薬を生んだ鈴木カップリング | 日経 xTECH

 

山中伸弥氏(ノーベル生理学・医学賞 2012年) 

http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/history/honor/award_b/nobel/2015/images/yamanaka/03.jpg/image

・独創的なアイデアは、まず実験に取り組み、その結果を色のない目で見られるかどうかが大切。自分の仮説や教科書にあることに囚われない。人から聞いたことや教えてもらったことでなく、先入観を持たず、自分が観察したことを一番大切にすべき。

・研究は、「これはこうかもしれない」という仮説を立てて、それを実験して確かめる。その繰り返し。薬がどうやって効くかを研究。
・米国に動脈硬化の勉強に行ったのに、予想外にも自分の研究対象ががんになり、そこからさらに偶然にES細胞の研究に導かれた。そうした偶然の積み重ねから発展した成果がiPS細胞。

・研究者としての成功には、VとWが大切だと米国で教わった。Vision(目的・ビジョン)を持って、そのためにWork hard 一生懸命働くと。

・昔は、研究者は言ってみれば職人のような感覚だったと思う。しかし今は、違う大学や違う国の人、新しい技術を持ったグループとい協力し、自分の仮説なりをいち早く証明していく能力が必要とされている。

iPS細胞研究の現在そして未来「研究を支えるもの」|京都大学
iPS細胞の発見には偶然が関わっていた?|マイナビニュース
ノーベル賞・山中伸弥教授 挫折がiPS細胞研究につながった|ログミーBiz

 

中村修二氏(ノーベル物理学賞 2014年)

https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/e/3/670m/img_e3a652fc1e8ddf8942ecae7e140c0b9a93276.jpg

日亜化学工業に入社して10年間、毎日のように実験を繰り返していた。
・その際、会社に予算がなく、実験で壊した実験装置を自分で修理していた。そこで実験でに耐えられる石英ガラスの溶接作業をはじめ、さまざまな技術を身につけていった。

青色発光ダイオード装置勉強のためのフロリダ大学1年間留学は、辛かった。修士号の自分は、周囲の研究員にアホにされ、ディスカッションにも呼んでもらえず、いつもカヤの外で黙々と研究するだけだった。
・留学で得たのは悔しさ。絶対に博士号を取ってやろうと。それが研究の原動力になった。
・当時の職場では、社員の論文執筆活動を禁止していたため、隠れて書いた。

・窒化ガリウム青色LEDを作ろうと思ったのは、博士号を取るためだった。うまくいく確証はほとんどゼロの状態で。

・結晶幕を作る装置の性能が不十分だったため、装置の改造を繰り返した。毎日、午後に実験して、失敗。翌朝から装置を改造し、午後に実験してまた失敗。これが1年半続いた。
・これが、大企業の場合は、装置改造はメーカー外注が当たり前で時間がかかり、3ヶ月に1回しか実験できない。
・大企業は1年に4回実験する間に、中村氏は毎日実験して1年で360回実験した。

なぜ、中村氏は不可能と言われた青色LED開発に成功できたのか?|ダイヤモンド
5年ごとに会社を替われば能力は伸ばせる|日本経済新聞
中村修二 トップ研究者インタビュー|エナゴ

 

■天野浩氏(ノーベル物理学賞 2014年)

https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/2/a/670m/img_2a9788dcb4b3e2a96ce6717f9dea9c4524330.jpg

・それさえできれば世の中は変えられる、みたいな気持ちで、ずっと実験を続けたのが成功の第一の理由。
・実験は1500回以上失敗したが、何でも自分でできるから、実験自体がものすごく楽しかった。新しい実験結果が出ると、自分が他の人が知らないことを知る、ということが楽しかった。
・1年364日実験したが、結局、何の成果も得られないまま、惨憺たる思いで、15ページくらいの修士論文を2月に出した。

修士の2年間に1回もきれいな結晶はできず、博士課程になり、とにかく何か成果を出さないといけなかった。朝10時から夜中1時まで、実験、実験、実験を繰り返す毎日。だから勇気とかじゃなく、アイデアがあったら何でも試してみようと必死だった。できるかどうかではなく、とにかく何かやらないといけない。
・結果、博士課程の間にドクター(博士号)を取れず、満期退学になった。そんな時、「きみは一生懸命に実験に取り組んでいる」ということで助手として研究室に残してもらった。

・社会を変えたりイノベーションを起こしたりするには、信念と行動力がいる。どうしてもやり遂げるという気持ち。

失敗は1500回以上、それでも成功するまで続けた | 日経 xTECH
「欲することを見つめよう」 ノーベル賞学者 天野浩氏|日本経済新聞
ノーベル賞の天野浩氏と産学連携で生んだ「画期的業績」|ダイヤモンド

 

大村智氏(ノーベル生理学・医学賞 2015年) 

https://www.nippon.com/ja/ncommon/contents/column/37021/37021.jpg

・人のまねをするとそこで終わり。超えることは出来ない。

・成功した人は、人より倍も3倍も失敗している。やることはだいたい失敗する。1回失敗して、それでダメだと思ったらダメ。失敗したからよかった、この失敗が絶対役に立つと思いながら続けることが大事。
・挑戦して失敗しても、それは必ず後の人生で宝になる。

・とにかく科学者は人のためにならなきゃだめだ、分かれ道に来たときはそういう基準で考えた。

・大村グループは、500種近い化合物を発見し、うち26化合物が医薬品や農薬などに使われている。通常はある活性のものを見つけ出そうとするが、大村研究室は、新規の化合物を見つけ出してから活性を調べるという、逆転の発想で研究・調査を進めた。

「人のまねをするとそこで終わり」 大村智さんが語った人生訓の数々 | ハフポスト
世界3億人もの失明の危機救う:ノーベル賞の大村智氏 | nippon.com

 

大隅 良典氏(ノーベル医学・生理学賞 2016年)

https://public-newswitch.s3.ap-northeast-1.amazonaws.com/images/php4Ne9vz_5a436c16c16ea.jpg

・オートファジー研究を始めたきっかけは、人と競争するのが好きではなく、人と違うことがしたかったから。
・科学では、現在誰も注目していないことを始めるのがとても重要。大きな仕事を成し遂げるために 人がやっていないことに挑戦する以外に道は無い。これには、安定と真逆の考え方が必要。
・人と違うということは、決定的に大事なこと。人と同じところに、発見はない。

・自分自身が心底面白いと思えることをやる。研究には苦しさが伴うが、その研究テーマが自分にとって魅力的で面白いものならば、苦しさは必ず乗り越えられる。そして、安心して挑戦できる環境を整えることが必要。
・オートファジー研究のモチベーションは、『がんの研究につながるかも』ということではなかった。起きている現象が知りたいという、純粋な知的好奇心。疑問に思ったことに、解けるまでとことん付き合ってみる姿勢が大事。

・研究費を取るために、「役に立つ」と言わされ続けることが、研究の世界を害している。基礎研究には失敗はつきものだが、成果を2年後に出すことを求められると、2年でできることしかやらなくなってしまう。

・視野の狭い研究者ほど、客観指標(論文数や文献引用影響率など)に依存してしまっている。本来は自分の好奇心や自分の軸で判断したいところ。 

ノーベル賞大隅氏が説く、「役に立つ」の弊害|東洋経済オンライン 
大隅良典先生が若者に考えてほしい「役に立つこと」の意味|高校生新聞オンライン
大隅 良典教授に聞く、大きな仕事への挑戦と基礎科学の課題|ビジネス+IT
日本への危機感「人と同じところに発見はない」|AERA dot
大隅氏「視野の狭い研究者ほど客観指標に依存する」|ニュースイッチ