【富士フィルム 新規事業 事例】化粧品事業参入の失敗と成功の事例
デジタルによる産業破壊に直面するも、経営大改革で事業構造転換とその後の飛躍を成し遂げた富士フィルム。
現在から過去を振り返って、第三者の立場で見れば、素晴らしい成功ストーリーです。
しかし当時の当事者は、コア事業の急激な縮小の不安の中、相当ハードな状況を前に進めたのだと想像しますし、一歩間違えたら転げ落ちた可能性も十二分にあったと考えるのが、普通です。
(あまり知られていませんが、アスタリフトの前に、最初に出した化粧品はさっぱり売れず失敗していた)
世の中に衝撃を与えた、富士フィルムの新規事業「化粧品事業」立上げについて、経営トップの立場、新事業担当役員の立場、新事業立上げ責任者の立場から、当時の戦略や作戦、成否を分けたポイントを振り返ってみます。
■経営トップの環境把握と構想と決断
・有事に際して、経営者がやるべき何よりも重要なのは「絶対に成功する」という気迫と勇気。経営者の気迫と勇気が、全てのスタート地点。
・デジタル化が来るというのは1980年頃から言われており、70年代からR&D投資を始めていた。88年に世界初のデジカメを開発、98年に他社に先駆けて150万画素デジカメ発売、2002年頃までデジカメのトップを維持していた。
(つまり、俗に言うイノベーションのジレンマを、非常にうまく乗り越えていた。)
・デジタル製品への対処だけでは、写真フィルムの利益を確保できず、写真フィルムの予想以上のスピードでの縮小が明らかに(年率20-30%減少)。そのままではダメになると思った。
・2003年に CEO就任し、改革を実行。有事に際して経営者がすべきは「読む」「構想する」「伝える」「実行する」の4つ。そして何より「成功させる」という強い思い。
・経営トップが自ら企業改革の計画を考え、改革に取り組む姿勢を示し、会社の現状と課題、及びその対応策・解決の指針を、様々な場面で発信した。現場の危機に対する認識の違いは、社員との対話や現場視察などを通じてギャップを埋める努力をした。
・事業構造の大改革は、自社技術の棚卸しを行い、「成長市場か」「技術はあるか」「競争力を持てるか(勝てるか)」という3つのポイントから、重点事業分野の策定を実践した。
・大きなことをするときは、勝算が6割あればやる。努力で補い、なんとか成功させる。
・決断したら成功までやり抜く。そのためには勇気と気迫が必要。
【私見】
経営の勇気と気迫と決断が必須なのは間違いない。
ただ、この事業構造転換を支える背景に、約2.5兆円の売上と1500億円前後の営業利益という財務規模と超優良状態と、継続して1500億円以上の研究開発投資をし続けた広範にわたる技術力(日本の研究所だけで2000人、研究開発投資は世界トップ150以内に入る)、富士フィルムというワールドワイドブランドがあったことは、間違いない。
(言い換えれば、大多数の会社がこのやり方を真似すると、失敗するのは火を見るより明らか)
また当時、2006年当時1万5000人いた写真関連分野の従業員のうち、約5000人削減(別部門異動含む)という、大リストラ実行したことも忘れてはならない(2009年度には間接部門などで5000人削減)。
会社としては、それほど大危機状態にある中での、"攻める or 死ぬ" という背水の陣での新事業展開。
■新事業担当役員
・富士フイルムは、高機能材料と三次元構造化技術をコアコンピタンスと定義し、生かせる分野としてヘルスケアを選んだ。その先にバイオ薬品もある。
・新事業は「やれそう」「やるべき」「やりたい」で考える。最初に「やれそう」を考え、自社技術とコアコンピタンスから発想。次に「やるべき」で、市場候補と参入領域を決め、既存プレイヤーが実現できない価値創出を狙う。「やりたい」は社会的視点が大切で、大義ある利益を。
・フィルム事業の根幹である抗酸化技術を突き詰め、それを人間の肌に応用する化粧品事業がやれるのでは、というアイディアが生まれた。
・ヘルスケアにつながったのは、オランダ研究所時代に事業化した再生医療に。
・オランダ赴任時、バイオ技術が進んでいると感じた。そして細胞とカラーフィルムが似ているとも。こういうことを言っても、日本の研究者は取り合ってくれないが、オランダ研究者には賛同者が多かった。
・日本は知識詰込み教育で、横並び志向が強く、突飛なことを言いにくい雰囲気。細胞とカラーフィルムの類似性も、日本の技術者は根拠がないと否定する。そのため自由な発想ができていないことに、気がついていない。一方オランダを含め欧米は、進取の気性が尊ばれる。独創的なことで、それが社会の役に立つことであれば「すごい」と言って育てられる。
・オランダ研究所長をやっている頃、化粧品ーサプリメントー医薬品ー再生医療という流れの設計図ボヤッとながら描けていた。
・若い頃、写真フィルム工場勤務時にあるトラブルに直面。その解決に乳化やコラーゲンの勉強が必要だった。その時、役立ちそうな論文や学会のほとんどが化粧品や医薬品分野のものだと気づいた。それくらい化粧品や医薬品と写真フィルムは似た技術を使っている。
・イノベーションを起こして新規事業を立上げるリーダーに求められるのは、課題創出力。そして周りから反対されても、諦めずに続けることが大切。
・戸田氏の性格や経験として、人にゴール(目標)を決めて欲しくない、最初に製造から入ったことで全体感で見る力が養われた、高度成長期で急成長する製造現場で挑戦する喜びを得た、素材担当からタンク洗浄・顧客折衝まで全体が見える部署、材料と装置の境界など多くの境界領域を経験・発見して数多くの越権行為をした、複数の体験や事象を原理化・普遍化を繰り返した。
「事業大転換」成功に必要なもの 富士フイルムCTO|日本経済新聞
富士フイルム、新ビジネス請負人の上司論|東洋経済
「越権行為」からイノベーションが生まれる|東洋経済オンライン
■新事業立上げ責任者
・富士フィルム、2006年に化粧品事業に参入。入社から一貫してフィルム開発に携わった中村氏が化粧品開発の責任者に。
・当時、新事業領域としてライフサイエンス事業・ヘルスケア分野参入が経営レベルで決定された。その中で、具体的に事業化は、比較的ローリスクで確実に立ち上げられそうだということで、化粧品事業に。
(既存技術を元に商品を作るというシーズ発想型だったと、失敗を通じて後に気づいた。「この技術はこのような商品に転換できそうだ」と技術ベースの議論が多かった。)
・初期投資はせずに始め、自社にこだわらず、外部の力を活用。製造、営業、マーケッター、PRともに外部と協創。
・いざスタートしたら、想定外の事態が続出。
ー製造を専門製造会社に委託したが、なかなかできない。
→ 社員がその会社にラインに張り付くことに。
ーダイレクト通販でコールセンター立ち上げたが、うまくいかない。
→社員がコールセンター常駐し、トークを開発せざるを得なかった。
・2006年9月 エフ スクエア アイ シリーズを販売したが、さっぱり売れなかった。
・2007年1月発売の美容液「エフ スクエア アイ インフィルトレート セラム リンクル エッセンス」は、抗酸化作用があり美肌パワーを持つ赤い天然色素「アスタキサンチン」液をナノ化し、極小の粒子が素肌の奥まで素早くしっかり浸透し、内側からふっくら明るいハリ肌を導き出す美容液。
・さっぱり売れなかったが、開発チームはめげなかった。
(私見:背水の陣で、なんとかするしかなかったのが、現実ではなかろうか。)
・1つだけ売れた製品があり調べたところ、40〜60代が肌のしわ改善に役立つという理由で買ってくれていた。
・かつてのフィルムの愛用者であり、富士フィルムブランドを信頼し期待感を抱いている(富士フィルムの技術ベースのストーリー)ので、化粧品も買ってくれ、使ってみたらその効能に納得してくれたのではないかという仮説を立てた(唯一売れた製品の成功要因を探った)。
・既存技術を元に商品を作るというシーズ発想型から、顧客価値から発想し、それに既存技術を展開するやり方に転換した。顧客の声を積極的にきき、顧客が気づいてない本当に欲しいものは何かを考えた。そこから自分たちなら何ができるのかに目を向け、スモールチームで柔軟に対応した。
・「お客さまにとって、この商品の価値はどこにあるんだろう」と考え、それを基本に商品企画・開発のやり方を根本から変えたことがイノベーションにおいて非常に重要。
・赤いボトルは、業界では非常識。機能訴求や富士フィルムというメーカー名明記も、コンサルからは絶対やめた方が良いと言われた。しかし、業界常識に縛られず、自分たちも知らないから市場やお客様に学ぼうと真摯に取り組んだことが結果につながったと思う。
・2007年9月、別ブランドのスキンケアシリーズ「アスタリフト」を発売。テレビCMには同世代の松田聖子さん・中島みゆきさんを起用。
・新規事業に大切なのは、経営のコミットメントを得ること、想定外事態に臨機応変に対応できる独立した小さな組織で動くこと、素直に顧客や市場から学ぶこと、自前主義を捨て信頼できるパートナーと組むこと、の4つだと学んだ。
・経営のコミットメント:長期的戦略の枠組みを先に示し、その一部として事業を展開することが大切。
・臨機応変に対応できる組織:凄くスモール組織で、柔軟に対応。社内で独自領域であることも良かった、社内に化粧品に詳しい人はおらず、あれこれ言われなかった。
・素直に顧客や市場から学ぶ:顧客と共創で価値作るならば、素直にお客様から学ぶ姿勢が必要。
・自前主義を捨てる:できるだけ初期投資は抑え、身軽にやることが大事。設備投資なんて最初から重い荷物を背負っちゃダメ。
・「やるべき(求められる)」、「できる」、「やりたい」の3つの重なりあったところで「やる事業領域」を決めているが、個人的にはもう一つ要件があり「なるほど」と思ってもらえること。「なるほど富士フイルムだ」と思ってもらえるものでないと顧客にも支援してもらえない。
・本業消滅という危機に瀕した富士フイルムにおける、新しい化粧品事業の位置付けが、その困難を軽減せしめた。"写真に代わる新しい事業を育てる"という図式はニュースバリュー抜群で、マスコミの関心を引くことができた。
富士フィルムの化粧品事業立上げと人事|RMS
新たな価値を創造するトップイノベーター 富士フィルム|VSN
時代の変化が生む危機と変革の機会
【私見】
製造がうまくいかない、コールセンターがうまくいかない、何より売れなかったのが "想定外" と感じていた、ということが、初期の最大のリスクだったのではなかろうか。
(新規事業の成功率は10%そこそこなのに)
ただ"失敗を生かす"という技術中心の会社特性、直販だったため売れた製品の成功要因を探りやすかったこと、会社の大危機状態の中での "攻める or 死ぬ" という背水の陣での新事業展開、が新事業の立上げと成長に繋がったのではないだろうか。